Hard times come again no more ジャズ初心者でも簡単にわかる戦前音楽解説シリーズ。

こんにちは。アメリカンフォークソングの名曲”Hard times come again no more”をジャズ初心者でも簡単にわかるように解説するコラムです。

時代は今からおよそ170年前、場所はアメリカニューヨーク州です。

“アメリカ音楽の父”と呼ばれるある作曲家がいました。その作曲家の名前は”スティーブン・フォスター”です。彼の半生をのぞき見る限り自分の父親がこんなだったら、

『盗んだバイクで走り出し、夜の校舎窓を割ってまわる』

つー感じで、100%グレると思うのですが、その後のアメリカの音楽史は文字通り”ヤンキー”そのものなのであながち間違いではなさそうです。

1854年,ニューヨークのFirth Pond&Co.という出版会社より[Foster’s Melodies No. 28]として楽譜が出版されました。ちなみに当時の日本はというと

『開国シテクダサイヨォ~』

でお馴染みのペリー提督による黒船来航で、江戸幕府がオワコン化する直前でした。こうして日本史と比べてみると、日本の西洋化の歴史は、アメリカ南北戦争期と被っており、ここからの両国の急成長は世界史的にも目を見張るものがあります。この80年後に両国が”あのような戦争”をすることになるとは…。

さて、フォスターはミンストレルショーと呼ばれる演芸旅一座向けの作曲家として名を馳せていましたが、この曲は主に談話室(ラウンジ)向けの軽音楽として作曲されました。この談話室で演奏される軽音楽のことを”パーラーミュージック”と呼びます。

パーラーミュージックは大衆音楽の一種で、アマチュアの歌手やピアニストが個人宅のパーラー(今で言うラウンジ)で、友人や客人に向けて演奏する音楽のことを指します。1800年代、楽譜の出版と流通、楽器購入と教養としてのレッスンを受けることができる、割りと金銭的に余裕のある”ブルジョワ”な世帯が増えたことにより定着しました。1900年代、蓄音機とレコードにとって変わられるまで流行は続きました。

このHard times~はアメリカとヨーロッパの両方で人気があったそうです。19世紀の貧しい民衆が置かれた窮地を歌っているもので、特定の地名や人名が出てこないことも各地で受け入れられた秘密でしょうか。

1905年、あのトーマス・エジソンの”Edison Manufacturing Company(Edison Gold Molded 9120)によって、レコーディング史でも異例の早さで録音が残されています。

当時の記録媒体は我々が知っているような塩化ビニールの円盤ではなく、ワックスシリンダー(蝋管)と呼ばれるもので、1896年~1915年円盤の登場まで使用されていました。蝋は保存が困難なため、Hard times~のオリジナルの音源は失われています。残念!

それでは作曲者”スティーブン・コリンズ・フォスター”の人生にせまっていきましょう。

1826年7月4日ペンシルバニア州生まれ、代表曲に[Oh!Susanna][Camptown Races][Old Folks at Home(Swanee River)[Jeanie]など、1864年1月に没するまで200曲以上の作品を残しています。[My Old Kentucky Home]に至っては

『なぜかフライドチキンが食べたくなる』

メロディとして、世界中のダイエッターに地獄の苦しみを与える歌として恐れられています。

19世紀に活躍した作家ということで、残念ながら彼の演奏の録音が存在しないことや、手書きの自筆譜のほとんどは失われていますが、この時代の楽譜出版会社より多くの楽曲が残されています。

アメリカ最初期のプロソングライターとして知られている兄弟のモリソン・フォスターを始め、祖父の代から物書き一族であり、その出自的からか自伝的な物が存在しないにも関わらず、フォスターの仕事や人物像を伝える情報は多数残されています。

アイルランド(一説にはスコットランドとイギリス)系の血筋で、北部なのに奴隷解放を全く支持しないという、ドン引きするくらい保守的かつ裕福な家に育ったフォスターは幼少期よりクラリネット、ギター、フルート、ピアノを独学で習得しました。作曲についても正式な教育は受けていませんでしたが、ベートーヴェンやモーツァルトに傾倒した時期があり、その都度作曲に詳しい知人を頼って少しずつ勉強しモノにしていったそうです。1844年、16歳の時書いた[窓を開け恋人よ]が初の作品と言われています。

1846年、勉強と学校嫌いのフォスターはオハイオ州シンシナティに移り、兄の経営する蒸気船会社で簿記係の仕事をしながら[Oh!Susanna]などを作曲します。

その数年後、西海岸に人がわんさかと集まって山を掘りまくる謎のムーブメントが起きます。これを”ゴールドラッシュ”と呼びます。金鉱で一発逆転人生を求めて、西部へと野望を秘めて移住する男達の賛歌として[おおスザンナ]は瞬く間に有名になりました。

1854年頃まで、少しずつ”ミンストレルショー”向けの作曲も始め、仕事も順調に回り始め、オハイオを離れニュージャージー州や故郷ペンシルバニア、ニューヨークなどアメリカ北東部を活動の拠点を移しました。フォスターは”クリスティミンストレル”と契約を結び、短くも偉大なる黄金期を迎えます。

[キャンプタウンレース(1850)][ネリーブリー(1850)][リングデバンジョー(1851)][故郷の人々(スワニーリバー(1851年)[ケンタッキーの我が家(1853年)][老犬トレイ(1853年)]、奥さまにのジェーン・マクダウェルために綴った[金髪のジェニー(1854年)]など多作で、かつ現代まで受け継がれている曲ばかりです。

この頃、チャールズ・シラスというピッツバーグ地域の奴隷制度廃止論の指導者と知り合ったことをきっかけに、奴隷制度廃止論者の演劇を書いています。ミンストレルショーには”出演者が顔を黒塗りにして演技もしくは歌唱する演目”が有りましたが、現在は人種差別として認識されているので言葉の取扱いには注意が必要です。

フォスターの歌はアメリカ南部をテーマにしたものが多いのが特徴ですが、実は彼自身南部に住んだことはなく、ジェニファーとの新婚旅行中に一度だけ訪れたことがあるだけという

『行ったつもりで北海道~北海道~♪』

という、日清のラーメン屋さん的なノリで”南部の歌”の数々を作曲していたことに驚かされます。さて、順風満帆に見えたフォスターの人生にこの翌年から暗い影が差すようになります。

1855年に故郷ピッツバーグへ移住するも、ここからの数年間で相次ぐ両親や兄との死別、多額の借金に追われることとなり、身を持ち崩すことになります。版権や財産なども手放し、1860年には生活は困窮し、さらにアルコールへの逃避が始まります。ここからの4年間の数少ない記録は、妻子が彼の元を離れたこと、作曲を続けたこと、入ってくるお金をことごとく失っていたことなど、あまりもの転落ぶりに兄弟のモリソンが記録を破棄したという説もあります。

1864年1月、ニューヨークでフォスターは熱病にかかり、仕事仲間の作家ジョージ・クーパーがホテルの洗面所で倒れているところを発見しました。鏡の破片が散乱する中、自らの血の海に横たわるフォスターは『僕はもう終わりだ』と言い残し、3日後にベルビュー病院で亡くなりました。この致命傷となった首の傷は事故と診断されましたが、自死だった可能性も考えられています。

この時、フォスターの持ち物は38セントの小銭と『親愛なる友人とやさしき心よ』と書かれた紙切れだけでした。遺体は故郷ピッツバーグに埋葬され、その後[夢見る人(1862)]が遺作として出版されました。

時は流れ1900年代初頭、フォスターの作品は初期映画産業に貢献しました。作者本人が死亡していること、生前版権を手放していることで、多くの映画作家がこぞって彼の楽曲を自分の作品に使用しました。

フォスターの音楽はミンストレルショーやパーラーソングから時代を超えて、映画という新しい大衆娯楽とともに、世界中の人々へ届くこととなりました。

生前、フォスターにとってHard times~はどのような意味を持つ歌だったのでしょうか。

『そのため息を歌に変えよう 苦しい時がもうやって来ないように』

現在でも、この歌は戦争や貧困に苛まれた多くの人々を勇気づけてきました。しかし、他の誰よりもフォスター自身がこの”音楽と歌”が持つ希望の力をこの歌に感じていたように思えてなりません。まるで自らの運命を予感していたように、スティーブン・フォスターは生涯をかけて”音楽と歌”に希望を託して書き続けたのではないでしょうか。。

以上、Hard times come again no moreの解説を終わります。孤独のヒュードのYouTube動画もありますのでハァーーッとご覧ください。

井上大地

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