Sailaway ladies

こんにちは。戦前ヒルビリーソングの名曲Sailaway ladiesをジャズ初心者でも簡単にわかるように解説するコラムです。

時代は今からおよそ100年前、場所はアパラチア山脈南部テネシー州、ケンタッキー州近辺です。

このSailaway~はフィドルによるスクウェアダンス (square dance) のレパートリーと言われています。4組のカップルが1セットになってコーラー (Caller) という踊りを指示する人の掛け声に従って踊るダンスのことです。大戦後に世界へ広がり、日本でもコイケヤ スコーンのアレとか、小学校のキャンプファイアーなどで踊るフォークダンスとして世の少年をムズムズさせ続けおり、まぁ偉大なダンシンソングなわけです。

1926年に楽器だけによるインストナンバーとしてテネシー出身のフィドル奏者[ジョン.L. “アンクルバント” スティーブンス]が録音。ケンタッキー州とテネシー州でローカルヒットし、レコードが拡販されると全国で知られるようになります。まずはこの音楽が成立するまでの歴史を簡単に見ていきましょう。

時は遡り1700年代。北アメリカの東側を縦断するアパラチア山脈はイギリス系、スコットランド系、アイルランド系の移民による開拓が行われ、お世辞にも開放的、都会的とはかけ離れた固い信仰心や独自のルールによる結束でまとまった集落が存在していました。映画の冒頭とかでバカップルが

『田舎過ぎてちょーウケるんですけどー』

つってイチャイチャしてると翌朝彼氏が湖畔とかで●●になって発見されて集落の保安官詰め所に助けを求めに行ったらその保安官が血…この話は長くなるのでやめておこう。

祖国の民謡をアメリカ風味に味変したり、感謝祭を始めとした宗教行事でのダンスや音楽が発展していました。特にフィドルやバンジョーの技術はとんでもないことになっており、後のブルーグラス誕生に多大な影響をもたらすことになります。

1800年代になるとアパラチア南部周辺の様々な文化が緩やかに流入し、やがて敬虔な山の住人というような意味で”ヒルビリー”という言葉が使われ始めました。彼らの手によって演奏されるダンスミュージックは後年[ヒルビリーミュージック]と呼ばれることになります。

ヒルビリーという言葉。現在は対象や定義がなんかネジ曲がってしまい”蔑称”とされることもあるため、使う場面を間違えるとグーで殴られる可能性があるため注意が必要です。しかしこの当時の音楽やダンス、生活様式など文化を指す場合は多用される言葉ですし”我こそはヒルビリアン”と自称する人達も存在します。

アンクルバントはヒルビリーミュージックをレコードに残した第一人者のひとりなんですが、この音楽と彼の性格を表すエピソードをお話しましょう。

1871年にテネシー州中南部のリンチバーグ近くのタラポーザで生まれ、生涯のほとんどを”農民”として過ごしました。

1926年に”ローカルな演奏大会”に出場したとき名声を博し、畑仕事の合間ならということで同年”フォード社”主催の世界大会で十八番の[The old hen clackled]を披露。1876人のフィドラーを破り”世界チャンピオン”になりました。

賞金は1,000ドル(今の日本円で60万円ほど)、新しいスーツ、車、そして新しい入れ歯(?!)そして、コロンビアレコードでの録音のチャンスでした。しかし彼には気になることがあります。

『おらの畑さ心配だなやぁ…』

コロンビアレコードの担当はとんでともない逸材を発見したことに喜び、なんと4曲のレコーディングを契約。さらにカントリーソングの殿堂グランドオールオプリのステージに出演決定。このままスターへの道を歩むかと周りが期待する中、彼はこう言いました。

『やっぱおら畑さ気になってしょうがねぇから帰るっちゃ』

と宮城弁で言ったかは定かではありませんが、ササッとグランドオープリーの出演を済ませると、彼は音楽業を引退し農場に戻りましたとさ。1951年 80歳で他界。誰かこれ映画にしてください。

さて、ぜひ聞いておきたい他の人のバージョンも紹介しておきましょう。

■1927年 アンクル・デイブ・メイコン
こちらはアンクルバントの翌年に歌入りで録音されています。バンジョーとメイコンのパワフルな歌声が、ヒルビリーの粗野なのにどことなく物悲しい雰囲気を堪能できます。

■1957年 オデッタ
フォークリバイバル前夜、大胆にアレンジを変えての録音。オデッタの歌と素朴なギターが素晴らしいです。孤独のヒュードはこちら寄りのアレンジで。

この曲は「南北戦争期のアメリカダンスミュージックに似ている」というがあり、興味深いのは人種間を越えた共通のトラディショナルソングだったという研究が残されています。とりわけ古いミンストレルショーの演目や、人種を問わず子供向けの歌集に収録されていたという”みんなの歌”的なノリの曲であったことがわかっています。

さらに歌詞の構成は古典的なブルースそのものであり、コール&レスポンスはケベックと呼ばれるカナダ移民のフランス人の歌、シーシャンティという船乗りの歌、労働歌、ミンストレルショーなどの要素も少しずつ絡み合い、アパラチア南部という土壌で育ったハイブリッド音楽だということがわかります。メイコン作詞のサビ、

『Don’t she rock daide-o?』

なんてフレーズ、かっこ良すぎません?メイコンのレコードはイギリスやアイルランドでも売れて、初期のビートルズやヴァンモリソンにも多大な影響を与えたという話は、遠くヨーロッパへ音楽が里帰りしたような感じもして胸熱です。

ヨーロッパをルーツとする彼らの音楽。祖国で迫害されたピルグリム・ファーザーズをルーツとし、アメリカ建国後も政局と戦争で迫害を受けながら質素で粗野に、そして人情に厚く生きる山の民。

そんな彼らが生んだ愛すべき大衆音楽は、ブルースと同様に”人種間を超えて愛すべきアメリカ大衆音楽”のひとつなんだと思わざるを得ません。

以上でSailaway ladiesの解説を終わります。孤独のヒュードの演奏による本曲のYouTube動画もありますので、こちらもチャーラーンとご覧下さい。それではまた。

井上大地

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