St. James infirmary ジャズ初心者でも簡単にわかる戦前音楽解説シリーズ

St. James infirmary

こんにちは。アメリカの戦前ジャズソングの名曲”St. James infirmary”をジャズ初心者にもわかりやすく解説してみる記事です。どうぞご覧下さいませ。

時代は今からおよそ200年前、場所はイギリスのロンドンです。

18世紀の伝統的なイギリス民謡 “The Unfortunate Rake” (または “The Unfortunate Lad” or “The Young Man Cut Down in His Prime)が元ネタとされていて、これは実際に楽譜が存在するのではなく寓話として伝えられています。

この寓話や叙事詩のことを”バラッド”と言います。この時点ではメロディと歌詞というような歌の完成形ではなく”詩”としての元ネタ、という段階です。

おいおい詩の話なんかじゃなくて、ジャズソングの話を読みたいんだよ井上てめぇ■×ぞ、となる方もいるかもしれませんが、まずはイギリスのバラッドの文化を説明していきましょう。

この”バラッド”は非常に歴史が古いものであり、歌劇などの流行により街角で販売されるようになったものを”ブロードサイドバラッド”と言います。

この読み物、つまり日本で言うところの辻売りの瓦版。これがSt. James~のながーい歌詞完成への旅の始まりなのでございます。

なお最初期の内容は売春婦にお金を使った後に性感染症で亡くなった兵士の話という、楽しい歴史の話ですよーつってうっかり小学校で講義しようものなら、教育委員会のお偉いさんが遠いお星さままで飛んでいってしまうようなシロモノなんですが、残念ながら現在伝わっているSt. James~の歌詞にはこの名残は見られません。何が残念なのかに深く突っ込まないようにしつつ、現在の歌詞へと変わっていった歴史を見ていきましょう。

まずは物語の舞台を確認してみましょう。時は1770年、ロンドンのサウスワークにあるロック病院という場所だったという研究がなされており、ハンセン病患者の隔離や、性病に苦しむ人々のために使われた施設という記録が残っています。ロック病院は長期に渡り性病を治療する病院として使用され記録されているそうで、当時は病気の性質及び言われのない差別もあり、収容されたら最後、出ることは叶わない場所と恐れられていたそうです。性病怖いよ、という啓発も込められたバラッドだったことが伺えます。

そして舞台はアメリカへとかわります。この少し前、フランスとイギリスが金に物を言わせてアメリカを奪い合うという戦争が起こっていたのですが、イギリスがこれに圧勝。

この戦争でイギリスはものスッゴい貧乏になるんですが、イギリスからの課税に耐えかねたアメリカの住人が突然

『紅茶をオワコン化させる』

と言い出して、紅茶をボストン港に投げまくるという謎な行動に出たことがきっかけで、1775年アメリカはイギリスと戦争をすることになります。これはアメリカ独立戦争と呼ばれているようです。

ブロードサイドバラッドの文化はイギリスから新大陸にも輸入されましたが、このふたつの戦争の間に東海岸から山岳部にかけて大量の最新ニュースや眉唾ゴシップ、ヨーロッパの古い寓話などをアメリカ風味にアレンジされたものなどが駆け巡ったとされています。はい、アメリカ風味にアレンジされたもの…ここがこの項目の肝です。

さらに時が130年ほど進んだ1918年。アメリカで朝にコーヒーを嗜むことがまったりと定着した頃、アパラチア山脈と呼ばれる割りと閉鎖的な地域で”セントジェームスホスピタル”という言葉を含む[The Dying Cowboy]という民謡が研究者によって発見されます。

当時のアパラチア地方がどれだけ閉鎖的だったかと言うと、原宿で最新の服を買いその場で着替えて遊びまくるんだけど地元の駅のトイレで元の服に着替えて家に帰らないと気まずいってくらいの閉鎖感を大陸レベルで醸し出しており、1990年代という現代も現代に、本格的な調査団が隅々まで研究をするまで一部地域の実態が掴めない、閉鎖感オブ東の横綱の異名を取るような場所でした。

“ある朝セントジェームス病院に行くと、粘土のように冷たい白いリネンに包まれた自分の息子がそこにいた”

この歌詞の出だしは「The Unfortunate Lad」の詩の冒頭に出てくる”ある朝ロック病院の辺りを歩いていると…”という節に類似しているとし、この曲及び詩はブロードサイドバラッドが元ネタであることが報告されました。閉鎖的な土地だったからこそ、伝統的なバラッドを受け継ぐ歌詞が発見されたのです。

しかし、イギリスからアメリカへ渡り、アパラチア山脈で100年以上もヌクヌクしている間に、南部各地へ伝搬したバラッドの登場人物がトンでもない変貌を遂げていました。

性病の兵士(イギリス)⇒俺の息子(アパラチア)⇒俺の彼女(南部)

俺の彼女て。つっこみどころ満載ですが、このアメリカ風味のアレンジ、なぜかとても好感が持てて飯がうまいです。

さらに色んな亜種というか類似の歌詞を持つ曲も存在しており、有名なのは[ギャンブラーズブルース]という曲のエピソード。

この曲は1920年代頃、お察し案件としていろいろ権利とかがグシャっとしてしまい、しまいには誰も歌わなくなるという可哀想な曲だったんですが、なんとうまいことSt. Jamesの三番の歌詞に寄生して生き残ることに成功するというポテンシャルを見せます。ほんとにありがとうございます。

お次はメロディ。これについては長らく起源が不明と言われていましたが、ある男達の手で決着がつきます。”ルイアームストロング”と”ドンレッドマン”です。

彼らの手による、古いブルースをモチーフとした演奏による1928年の録音でメロディは確定的なものになりました。こちらは歌詞に比べて、あっさり勝ち確のように思えますが、当時の記録が残っていない一子相伝の、そう、まるで北斗神拳的なノリで受け継がれているブルースという音楽の性質から、モチーフの元ネタを探し出すことは不可能に近いと言わざるを得ないわけです。けして、けして調べることを手抜きしたわけじゃありませたわばっ!

ロンドン生まれ、アパラチア育ち(引きこもり)ニューオリンズ経由で夏休みデビューという、お足元の悪い中ご来場頂きましてまことありがとうございまぁすお茶でもどうぞ、とでも言いたくもなるような数奇な運命を辿った本曲。

時に異名同曲を駆逐、吸収して今なお21世紀まで歌われ続けているこの歌詞自体が、もはやバケモノじみていることに改めて畏怖の念を感じる次第です。

最後に代表的な録音を紹介しましょう。1930年までに少なくとも18の異なるバージョンがリリースされました。デュークエリントンオーケストラは[The Ten Black Berries][The Harlem HotらChocolates]などの仮名で録音。

キャブ・キャロウェイは、1933年のベティブープのアニメーション映画[スノーホワイト]で道化師ココ役で録音。こちらのバージョンは”お子様と安心して楽しめる内容”になっておりますので、ぜひ。

以上でSt. James infirmaryの解説を終わります。

孤独のヒュードの演奏による本曲のYouTube動画がありますので、こちらもモリモリご覧下さい。それではまた。

井上大地

投稿者: Daichi Inoue 井上大地

Guitarist, Song writer

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